バンブーユベントス(欧字名:Bamboo Juventus )は、日本の競走馬。2003年の日経新春杯の勝ち馬である。
馬名の意味は、冠名+イタリアのサッカーリーグセリアAのクラブチーム名ユベントス。
戦績
栗東の田島良保調教師に託され2歳夏に厩舎には入厩したが初めは骨の成長が遅く、あちこちを頻繁に痛めて3歳のうちにデビューできなかった。それでも2002年、若手の村田一誠を起用して3歳1月の新馬(京都ダート1200m)でデビュー。逃げ切り勝ちを飾ると、2戦目のさわらび賞で芝を使われ、連勝を決めた。
重賞初挑戦の毎日杯(GIII)6着を挟んで、臨んだ東京優駿のトライアル競走である青葉賞(GII)では後方追走から大外に持ち出して追い込み、抜け出したシンボリクリスエスから2馬身半差の2着を確保、優先出走権を獲得した。そしてクラシック第二弾の東京優駿(GI)でも村田が続投し、勝利すればダービー最年少優勝記録更新だったが、12着で叶わなかった。秋からは幸英明が騎乗し、セントライト記念と菊花賞に臨むも12着、7着。続く12月の中日新聞杯(GIII)では古馬相手に3番人気で臨み、後方から追い込んだが同じ3歳の2番人気マイソールサウンドにクビ差届かず2着だった。
年をまたいで2004年1月、古馬初戦となる日経新春杯(GII)に参戦。四位洋文に乗り替わり、コイントスやファストタテヤマ、エアエミネムに次ぐ4番人気の支持だった。最後方の内側追走から直線にて馬場の最も内をついて進出。1番人気コイントスが好位追走から抜け出していたがそれを差し切り、半馬身差をつけて優勝。重賞初優勝、マヤノトップガン産駒初の重賞勝利を成し遂げた。この後は天皇賞(春)で父仔優勝を目指す予定だったが、右前浅屈腱炎が判明して長期休養。1年半経過した2004年8月に復帰するも、2連敗して競走馬を引退した。
競走成績
以下の内容は、netkeiba.comの情報に基づく。
引退後
競走馬引退後は、小倉競馬場で誘導馬を務め、2009年に引退し南九州市森林馬事公苑で乗馬となった。その後2011年6月24日に死亡している。
血統表
- 母スプリングバンブーは1995年小倉記念勝ち馬。
- 叔父に1999年愛知杯勝ち馬のバンブーマリアッチ。
脚注
注釈
出典
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ


