大久保 忠直(おおくぼ ただなお、? - 享保11年(1726年)11月)は、江戸時代中期の紀州藩家臣。娘・お須磨(深徳院)は当時紀州藩主だった徳川吉宗に仕え、のちに9代将軍となる徳川家重を生んでいる。

紀州藩士・加納久利の三男として生まれ、同じ紀州藩士の大久保忠舊の娘婿となって跡を継ぐ。吉宗の側近として活躍した加納久通は甥(兄・加納久政の子)にあたる。

忠直の跡は長男の忠寛が継いだが夭逝した。その跡を継いだ次男の往忠は、姉・お須磨の縁もあり幕臣として召し出され、5000石の旗本となった。



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