1973年アメリカグランプリXVI United States Grand Prix )は、1973年のF1世界選手権第15戦として、1973年10月7日にワトキンズ・グレン・サーキットで開催された。

概要

イタリアGPで3度目のワールドチャンピオンを獲得したジャッキー・スチュワートは、自身の通算100戦目となるこのレースで1973年シーズン限りの引退を決めていた。翌1974年のティレルのエースドライバーはスチュワートのナンバー2をつとめてきたフランソワ・セベールが昇格、チームメイトとしてマクラーレンのジョディー・シェクターが決まっていた。そのセベールはドライバーズランキングで3位に付けており、このレースの結果次第では2位となる可能性があった。

コンストラクターズランキングはロータスがティレルを1点差で上回っており、シーズン最終戦で決定という流れになった。

フリーランスの立場になっていたジャッキー・イクスがイソ・マールボロからスポット参戦。ビザの関係で土曜日からの参加となった。

ロニー・ピーターソンが前年スチュワートが記録したタイムを0.8秒短縮する1分39秒657を叩き出してポールポジションを獲得した。このタイムはコンピューターが算出したF1が記録可能なタイムである1分40秒(100秒)を切るものであった。

セベールの事故死

セベール用の006は前戦カナダGPでの事故で破損していたため、オイルクーラーの位置が変更された新車の006/3に乗車していた。予選2日目の10月6日、午前のセッション終了間際の時点でセベールは予選4位に相当する1分40秒444のタイムを記録し、さらなるタイム短縮のため再度コースインした。第1コーナーの先にある登り坂の高速S字コーナー、エセスに差し掛かった時、セベールの006は突然コントロールを失ってコース右側のガードレールに衝突。その衝撃で006はコース反対側に跳ね飛ばされ、逆さまになってガードレールの真上に落ちた。直後を走っていたシェクターは即座に現場に駆け寄ったが、セベールはガードレールによって鼠径部から顎にかけて切り裂かれ即死していた。

事故を受け、この日の夜ティレルはスチュワートとクリス・エイモンの決勝レースからの撤退を決定した。

予選結果

決勝

スタート直後ピーターソンがクラッチの操作をミスしながらも首位を走行、2位にロイテマン、予選4位のジェームス・ハントがエマーソン・フィッティパルディを抜いて3位に。この後4周目にハントが2位に浮上。以降は首位を独走するピーターソンとそれを追走するハントという展開となった。

ハントはマシンのアンダーステアに悩まされながらも終始ピーターソンを追走するが、最終的に0.668秒という僅差でピーターソンが逃げ切り、ハントは2位に終わった。これによりロータスのコンストラクターズ・チャンピオンが決定、ピーターソンはセベールを抜いてドライバーズランキング3位となった。スポット参戦のイクスは1周遅れの7位で完走した。

決勝結果

第15戦終了後のランキング

  • :ドライバー、コンストラクター共にトップ5のみ表示。チャンピオンシップには前半8戦中ベスト7戦、後半7戦中ベスト6戦がカウントされる。ポイントはチャンピオンシップにカウントされるポイント、括弧内は総獲得ポイント。

脚注

出典

  • 『オートスポーツ』 三栄書房、1973. 12/1号、44 - 47頁。
  • 『カーグラフィック』 二玄社、1973年12月号、193 - 197頁。
  • アラン・ヘンリー著、高斎正訳 『世界の有名な50レース』 グランプリ出版、1991年、ISBN 4-87687-109-4

外部リンク

  • The Official F1 Website(2014年9月3日時点でのアーカイブ)
  • Grandprix.com

1973 Canadian Grand Prix. Mosport Park, Ontario, Canada. 21st23rd

1973 German Grand Prix. Nurburgring, Germany. 35th August 1973. David

1973 Australian Grand Prix Wikipedia

Elvis Presley April 24, 1973 Anaheim, California

MOTORSPORT Touring car classes mix it up at the 1973 Japan Grand Prix