ドルツク公(ベラルーシ語: князь друцкі)とは、12世紀初頭からルーシ西部に存在したドルツク公国の君主の称号である(「公」は「クニャージ」からの訳出による)。公・公国の名は、その中心都市だったドルツクによる。
ドルツク公の一覧
キエフ大公国期
- ログヴォロド・フセスラヴィチ(在位:1101年 - 1127年)
- ログヴォロド・ログヴォロドヴィチ(在位:1127年 - 1129年)
- (この間、上記のログヴォロドはビザンツ帝国に追放されており、ポロツク公イジャスラフ、スヴャトポルク、ヴァシリコがドルツクを統治していたと考えられている。)
- ログヴォロド・ログヴォロドヴィチ(在位:1140年 - 1144年):2度目
- グレプ・ログヴォロドヴィチ(在位:1144年 - 1151年)
- グレプ・ロスチスラヴィチ(在位:1151年 - 1158年):ミンスク公ロスチスラフの子
- ログヴォロド・ログヴォロドヴィチ(在位:1158年 - 1159年):3度目
- グレプ・ログヴォロドヴィチ(在位:1159年 - 1162年):2度目
- ログヴォロド・ログヴォロドヴィチ(在位:1162年 - 1171年以降):4度目
- グレプ・ログヴォロドヴィチ(在位:1171年以降 - 1180年以降):3度目
- ボリス・ログヴォロドヴィチ(在位:1180年以降 - 1196年以前)
- ボリス・フセスラヴィチ(be)(在位:1190年代):おそらく、上記の人物の甥
リトアニア大公国期
脚注
注釈
出典




