藤原 有頼(ふじわら の ありより)は、平安時代前期の貴族・漢詩人。藤原北家魚名流(山蔭流)、中納言・藤原山蔭の長男。官位は従五位下・但馬守。
経歴
寛平元年(889年)9月に行われた残菊の宴において漢詩を奉じた。右馬助を経て、叙爵の後、寛平5年(893年)4月に敦仁親王(後の醍醐天皇)が皇太子に立てられると、その春宮坊の主馬署官人となり、蔵人に補任された。その後、但馬介または但馬守を務めた。
系譜
- 父:藤原山蔭
- 母:筑前介有光の娘(姓不明)
- 妻:高向公輔の娘
- 生母不明の子女
- 男子:藤原正方
- 男子:藤原直長
- 男子:藤原種時
- 養子女
- 養子:藤原在衡(892-970) - 実は如無の子。
脚注
出典
- 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年




