羽栗 吉麻呂(はぐり の よしまろ)は、奈良時代の人物。姓はなし。
経歴
羽栗氏(葉栗氏)は春日氏の一族で、氏の名は山城国久世郡羽栗郷(現在の京都府久世郡久御山町佐山付近)の地名に因む。
養老元年(717年)の第9次遣唐使で留学生・阿倍仲麻呂の傔人(従者)として渡唐する。翌養老2年(718年)遣唐使節の帰国に同行せず、仲麻呂と共に唐に留まる。その後、唐人女性と結婚し、唐で翼・翔の二子を儲ける。天平5年(733年)多治比広成が率いる第10次遣唐使が来唐し、阿倍仲麻呂はそのまま唐に留まったが、吉麻呂は息子らと共に帰国の途につき、天平6年(734年)無事帰国を果たした。
天平8年(736年)に新羅に渡った第20次遣新羅使の使節が詠んだ和歌の中に『羽栗』作のものがあり、これが吉麻呂によるものであるとする説がある。これが事実ならば、羽栗吉麻呂はこの遣新羅使にも加わっていたことになる。
脚注
参考文献
- 森田悌『日本後紀 (上)』講談社〈講談社学術文庫〉、2006年
- 佐伯有清編『日本古代氏族事典』雄山閣出版、1994年



