国策ホテル(こくさくホテル)は、鉄道省主導のもと、1930年代から1940年代にかけて各地に建設されたホテルである。ホテルの開発・整備は地方自治体が行い、大日本帝国の国際観光政策として大蔵省からの低利融資が受けられた。国際観光ホテル(こくさいかんこうホテル)とも称される。
概要
1930年(昭和5年)、輸入超過であった国際貸借改善の一方策として外客(インバウンド)の誘致に着目して当時の内閣が創設した鉄道省国際観光局は、大蔵省の低利融資(預金部資産)を斡旋し、地方自治体に対して回遊経路や観光地とされた立地へのホテル整備を促した。この施策により1933年(昭和8年)から1940年(昭和15年)の8年間に、全国で15の観光ホテルが整備された。従来の和風旅館ではなく洋風のホテルの整備を明確に求めたのが特徴で、対象となるホテルは、1930年の警視庁通牒「ホテル及飲食店兼業ニ関スル件」をベースとしたホテルの定義に従う必要があったとされる。
1941年(昭和16年)に太平洋戦争に突入したことにより本政策は頓挫し、戦後は米国進駐軍に接収されるなどの影響で、その存在価値を十分に発揮できずに終わった。
旧国策ホテルの一つであるホテルニューグランドの呼びかけが発端となり、1997年(平成9年)11月9日に「日本クラシックホテルの会」が設立された。9つのホテルが加盟し、このうち旧国策ホテルはホテルニューグランド、川奈ホテル、蒲郡クラシックホテルおよび雲仙観光ホテルの4件である。
ホテル
脚注
関連項目
- 政府登録国際観光旅館
- クラシックホテル
外部リンク
- 上高地帝国ホテル
- 蒲郡クラシックホテル
- ホテルニューグランド
- びわ湖大津館
- 雲仙観光ホテル
- 川奈ホテル
- 志賀高原リゾート開発「志賀高原歴史記念館」
- 中禅寺金谷ホテル
- 日本クラシックホテルの会




